ヤクザの「ヤミ医者」

◆ヤクザ御用達=ヤミ医者ではない◆

新宿の歌舞伎町周辺には「ヤクザ御用達」の病院があります。立地上ヤクザや水商売系の人が多いだけで、ヤクザを専門的に見ているわけでもありませんし、便宜を図ったり割安で診療しているわけでもありません。先生は服装や刺青、指の欠損などから「この人はヤクザだな」と分かっても特に指摘しませんし、ヤクザも診察中に「オレは〇〇組だ」と名乗ったり、仕事の話をしたりはしません。一般の人が風邪や病気で医者にかかったときに自分の職業や日常生活の話をべらべら話さないのと同じです。診察に必要最低限の話しかしません。

歌舞伎町のあるお医者さんはほかの患者さんから「よく断らないで治療しますね」などと言われるたび笑ってこう答えていました。

「そもそも法律上断れませんから」





医師法19条
「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」

これは診療に応ずる義務=応招義務と呼ばれ、医学部に行けば誰でも習います。いくら法律の締め付けが強くなってもヤクザは医療行為を受けないで死んでしまえなどということにはなりません。ヤクザに医療行為ができないのでは?と思った人は無保険診療の問題や抗争事件でのケガを内緒で治療することなどの話と混同されているのかもしれません。任意保険や社会保険に加入していないヤクザは割高な医療費を支払うことになりますし、抗争事件で運ばれれば医者と同時に警察が駆け込んできます。とはいえ医療行為がうけられないと言うことにはなりません。

◆実は医師に通報義務はない◆

医師は暴行を受けたり刃物で刺されたりした人が運ばれてきた場合でも法律上、強制的な通報義務はありません(現実的には警察に通報する病院も多いと思いますが)。そもそも銃創やメッタ刺しの刃物傷以外は事件か事故なのか分かりません。外見上転倒してできたアザと殴られたアザの区別は難しいですし、刃物で切りつけられた傷と料理中の傷の区別も難しいでしょう。医師はケガした人が運ばれてくれば治療するのが仕事で、その原因を調べる義務までは負いません。明らかな他害でない場合、医師は淡々と「打撲」や「切り傷」の治療をするだけです。

そのほかいろいろと細かい規定はありますが、医師法、刑事訴訟法、麻薬取締法などに散漫に広がっていて複雑を極めています。

死亡した場合は通報義務があります。
医師法21条
「医師は,死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは,24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」
ヤクザ映画や小説で抗争事件で死んだ組員について「センセイが病死で診断書を書いてくれたからサツにはバレてねえ」みたいなやりとりがありますが、通常は警察が司法解剖や少なくとも検視には乗り出してくるので他殺体を伏せたまま隠し通すということはできません。

公務員に当たる医師は例外的に通報義務があります。
刑事訴訟法第239条第2項
「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」
※これは「医師」ではなく「公務員」にかかる法律なので国公立大学の病院などに勤務している医師は通報義務があります。しかし「犯罪があると思料する」なんて素人にできるはずもなく、なんとも曖昧な法令分ですね。

◆クスリ問題を解決するヤミ医者◆
薬物中毒者についても規定があります。
麻薬及び向神経薬取締. 法第58条の 2
医師が麻薬中毒者と診断した場合における都道府県知事への届出。.
しかし、実際には体調不良や錯乱している患者を麻薬中毒者と断定するのは難しいことで、届出なかった場合でも「気づきませんでした」といえばそれまでのようです。

全国各地にはいくつか有名な「シャブ抜きクリニック」があります。警察に追いかけられて組員や不良芸能人、スポーツ選手が尿検査を免れるために駆け込む病院です。強い利尿剤を大量に点滴して強制的に尿を出し、程度にもよりますが、最短で半日程度で尿検査をパスするまで体を洗浄してしまいます。この手の「シャブ抜き点滴」は口止め料込みで相場が20万円前後なので、不良たちのニーズに合わせて荒稼ぎしているところがほとんどです。こうしたクリニックのほか、転売用と分かっていながら向精神薬を大量に処方する病院や、ホームレスを始めとする患者に不要な治療を重ねていわゆる「貧困ビジネス」に荷担しする悪徳医師がいます。こうした医師は不良との付き合いも深く、いろいろな融通を利かせることもあるかもしれず、いわゆる「ヤミ医者」のイメージに限りなく近いかもしれません。

◆刑事訴訟法149条◆
第149条
医師、歯科医師、助産師、看護師、弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、弁理士、公証人、宗教の職に在る者又はこれらの職に在った者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては、証言を拒むことができる。但し、本人が承諾した場合、証言の拒絶が被告人のためのみにする権利の濫用と認められる場合(被告人が本人である場合を除く。)その他裁判所の規則で定める事由がある場合は、この限りでない。

明確に通報義務を指定した法令分ではありませんが、警察や検察から求められた場合でも「証言を拒否できる」という法律です。たとえば殺人犯の弁護士が担当の被告から「センセイ、オレ本当は殺したんだよ」と聞かされたとしてもその聞いた話を証言する必要はないということです。これは罪の「懺悔」を聞く宗教職の人にも適応されています。医師という高度に個人情報、プライバシーを扱う職業も「証言拒否」の権利が与えられています。しかし、一方で、捜査機関による「照会」とか「事情聴取」という任意の捜査が及ぶため、よほどのことがない限りはヤクザを始めとする犯罪者のプライバシーが守られることは難しいでしょう。

◆高度な医療倫理から◆

明らかに抗争事件でケガをした組員や薬物中毒の人間を警察に通報せずに治療してくれる医師もいます。しかし、こうした医者が映画に出てくるカネの亡者ばかりというのは少し短絡的な見方かもしれません。一部のお医者さんはこうした人を警察に突き出すことが医師の倫理や守秘義務に違反するのではないかという高尚な考えを持っています。ケガや病気で医師を訪ねてきた患者はみな平等です。助けを求めてきた患者のプライバシーをいたずらに暴露して司直の手にゆだねるのは高度に医師の倫理に反するのという考えです。また、実際、薬物の初犯などで、医師との出会いを通じて薬物を断ち、刑務所に行かずにアンダーグラウンドから抜け出せるはずだった患者もいるかもしれません。そうした患者を警察に突き出すことで逮捕起訴、場合によっては刑務所送りにしてその患者を後戻りできなくする可能性もあります。こうした高い位置からの考えでヤクザや不良をとかく詰問せずに治療する人たちは「ヤミ医者」かもしれませんが、少し趣が違うように思います。