はじめまして

みなさま、はじめまして

毎日の激動は人生において大変に苦しく、喜びの一呼吸に顔をだせばすぐさま次の波がおしよせるものと、どうやら相場が決まっているようです。
その最も高い波はおそらく死でしょう。次々におしよせる波へどのように対処したかで、いわば人生の味とやらが定まるようですが、さて考えさせられるもののひとつは、いったい「偉い」とは何でしょうか?

お金を多くもって自由が多いことでしょうか、要職に就いていることでしょうか。はては親孝行だったり、他人の涙をぬぐうことでしょうか。
たとえば、波をうまく乗りきって地位が高い裕福な人がいます。そのような人はえてして自己に絶対の自信を持ち、他人のあらが目につきがちのほか、積み上げてきた名声や財産に固執するあまり法律や他人の心を踏み荒らすこともしばしばです。一方、来るたびに浪を避けてきた人の目は自信という輝きを失い、優しさの名をかりたかりそめの思いやりばかりで、知識もなければ他人には事を共になすに頼りなく映ってしまうかもしれません。

「これは問題の立て方がわるいのだ。そもそも偉いとは、時代を異にすれば内容も異にし、その正体はたえまなく移ろいゆく社会の時々の総意だ」

との声もきこえてきそうですが、それを前提にしたうえで、私たちはなお現代の総意を決める委員会の席を生まれながら与えられており、私たちの声と行動は、社会の総意ときってもきれない縁にいます。

そうすると、揺れ動く中に生きているのですから、「偉い」についての早合点はやめ、私たちも自分の今の名声や評価にあまり固執しないほうがよいかもしれません。正義と悪が一晩でひっくり返ることは人間の社会で過去なんどもありましたし、褒め言葉と悪評は離れているようで、実は一緒にダンスを踊る仲、めまぐるしくステップを変えて踊り狂い、スポットライトは人びとの時々の目線ーーなんてことにすぎず、実にスポットライトをどう働かすかこそ、委員会の席を与えられた者の特権といえます。ナポレオンや徳川家康だって、今を生きている私たちほどには今の社会に影響を及ぼすことはできないのですから。

いささか長くなりました。疲れていても好奇心は人一倍たくましいみなさまへ、代わりの耳や目となり日々のニュースの背景や笑い話、くつろぎとなるものを求めてこのブログをつくりました。ゆるりと覗いていただければ幸いです。

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