「うちの団地では中学を卒業したら暴走族
暴走族を卒業したらヤクザになるもんだった」
―中年「元」準構成員G
東京や関西、関東の一部地域など極端に不良・ヤクザになったり、犯罪者になったりする割合が高い地域・学区があります。やくざに加入する経緯としては別記事の「家庭環境」に似ていますが、それよりはずっと運命的なものというか「なるべくして」の縛りが弱く、ちょっとしたことでまともな人生が開けます。
関西の団地で育ったGは中学校でグレて地元の荒くれ者が集まる工業高校に入り、暴走族をやっている最中にスカウトされるという典型的なルートを辿りました。16で高校生をしながら準構成員になり(現在ではありえないですが)事務所の当番や兄貴のかばん持ちなどを始めました。Gが通った中学はほとんどが団地の子供たちで親がヤクザとかシャブ中という家庭だらけで子供たちも不良だらけでした。中学では刺繡の入った学ランをきて卒業式に臨み、暴走族の先輩がビールを持って祝いに来ました。不良をしてればヤクザとぶらついて、事務所に出入りするようになるのはようになるのはごく自然なことでした。
Gの転機は高校3年生の時。Gの母親がせめて高校は卒業してもらおうと無償の勉強支援の教室に無理やり行かせたのでした。実際、Gはヤクザになるのでも高校ぐらいは出ておこうと決めていましたが、赤点連発で留年しそうな状況でした。勉強支援教室は元公立高校の先生が、ドロップアウトしそうな子供たちを支援しようと始めたものでそういう子が集まりやすいGの住む団地に集中的にチラシを貼っていたのでした。教室は最寄りの駅から2駅ほど離れているちょっと生活水準の高い地域にありました。
とりあえず試験前だけ教わろうと教室に参加したGは、初めて大学生との出会いを体験しました。学生たちは着ている服やかばんはもとより、自分の周りの人と肌や髪の毛の質まで違うように見えました。彼らは運動部やサークルに所属していて、健康で闊達、清潔でした。団地の兄ちゃん姉ちゃんはタバコで黄色くなった歯に酒焼けした声で体も太ったり、シンナーでやせこけたりしていて、肌もガサガサ髪の毛もボサボサの人たちばかりだったので、Gにとって大学生との出会いというのはまさに「文明との出会い」「未知との遭遇」でした。Gは彼らに興味を持ち、たびたび教室を訪れるようになりました。興味は憧れになり、地元の連中と小汚い格好で夜遊びをすることに嫌悪感を抱くまでになっていました。
Gは大学こそ進学しなかったものの、大学生らの太助もあって高校を無事卒業し、東京の調理師専門学校に通いました。今はちょっとおしゃれなダイニングバーで元ヤンの気配を一切消して雇われながら店長を務めています。地元の友達はそのままヤクザや「オトナの不良」になり、自堕落な生活を送っています。
「本当にまともな世界の人との出会いがなかっただけなんです。地元で今もバカをやってる連中もそういう出会いがあれば、まともになれたと思います。ほんとに知るチャンスがあったかなかったかの差だけですね」