“サムライ”とヤクザは似ている?

今回はいつもと毛色の違ったお話し、番外編です。時代劇やヤクザの話を見聞きしながら武士とヤクザは似ているなんて思ったことはありませんか?
どちらも武力を根幹として活動し、主君(親分)と盃を交わせば御為めに命をなげうつ覚悟、義(スジや男)を人生旗のど真ん中に張りかかげる…。

鎌倉、室町、戦国、江戸…と武士も時代ごとにやや違うのでひとくくりにまとめるのは多少乱暴ですが、結論から言ってしまうと、下剋上の時代-戦国期の武士たちはエグいほどヤクザ気質、他人の領土を奪う手口や見せしめのいやらしさ、裏切りや疑心暗鬼の残虐さはヤクザ顔負けの話が山ほどあります。
さらに民から徴収する税金(年貢、ヤグザ風にいえばミカジメ)に関して“風林火山”が有名な武田信玄はとくに苛烈、のちに甲斐の国を手に入れた徳川家康が現地調査の際、あまりの高税に仰天したという逸話もあるほどですから、びっくりですね。(ちなみに江戸時代の税金は幕府の土地ではおよそ五公五民でした。現代日本の累進課税は最高半分をもってゆくため所得上位層は江戸の気分が味わえます)

その武士も、江戸時代になると変わってゆきます。戦の絶えた時勢にしたがい戦闘よりも統治者たる役割が重視され、ひとりで幾人もの首級をあげる鎧武者より、ソロバンはじきのうまい者や、目端の利く者、弁の立つ者が重宝されはじめるのです…。カネやコネがもの好まれ、刀づくは嫌われます。飛び火でヤケドをしかねませんし、血で血を洗う抗争となれば幕府から目をつけられ、藩そのものが潰されかねません。
ヤクザに照らせば、昭和から平成へうつり、暴力団関連法の整備・強化や人びとの眼差しの変化にさらされた末、昭和の武闘派ヤクザの権力が衰えて平成の経済ヤクザが脚光を浴びもてはやされるようになったのは、まるで時代のワンシーンをくりかえしたものとも思えます。
どちらも、時代が組織内の出世コースを定めており、その入口も、入口をひらいた者たちにしてみれば自分の生き方を否定するような形です。…ただ、同じ立場であった徳川家に形を強制された武士たちのほうが、より「時代に見放された」感をむき出しにしているでしょうか。。



ところで、武士社会では平和になった際、下剋上をくりかえさないよう、主従関係をもっとも尊くみなす朱子学という学問が採用されました。武士の大半はそれまで「学問なんて馬の糞ほども役に立たない!」と豪語する連中ばかりでしたが、戦国を書物でしか知らない子孫の時代になると骨の髄まで浸透し、『親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(さんぜ)』との格言は当時の武士道徳をよくあらわしています。親や妻より、主君と交えた絆が尊く、主君を裏切ることは絶対の悪となり、さらに主君と家臣団との間の強固なむすびつきによって主君は象徴的な意味を帯びはじめ、藩主が幼年であってさえ領国の運営にすこしも問題のないほど組織は盤石になっていきます。

一方、ヤクザはこの域に達するまで組織を盤石のものとできていません。利害が前に押しでて戦国時代のまま、この点で、江戸期の武士と似てはいない。ただし、武士も人間ですから易きに流れがちで、江戸後期、タガが外れかかった武士たちを前に『寛政の改革』を主導した松平定信は、こう言い放ちます。

四民のうち、農工商で天下の用は足る。上に立つ士の商売とは、ただ『義』の一字を売ること。この義理は色もなく香りもなく、買いだす所も売る所もない。『義』をたがえぬを職とし、百姓・町人等も恐れ敬うのは、士は職するところが高いからだ。いまどきは、常に利害のみを勘弁し、義理の方が疎くなっている。利を得なければ一飯を得られない商人と相応の禄を得る士は違い、士でありながら利欲に迷うは畜類にひとしいではないか

上の文の『義』を、『仁義』や『男』と読み直せば、現代ヤクザの題目にもなりそうな気がしませんか? 松平定信が強調したのと同じく、ヤクザがやたらこのような字を掲げたがるのは、現実の実態がこれとまさに正反対であるからなのです。