「ガッコの下駄箱で
上履き間違えないようにするのと同じですよ」
-関東 若手組員
後戻りしない覚悟
歴史の本を読み解けば世界中で入れ墨=刺青=TATTOO(タトゥー)文化があります。
日本でも古くは邪馬台国の時代から続く刺青の歴史があります。宗教的・呪術的な性格があり、入れ墨を入れることで力を手にした―という話もあれば、島流しの受刑者が見せしめに顔や手のわかりやすい場所に彫られた―江戸時代には武士も入れ墨を入れていたとか―漁師さんは水死しても誰かわかるように入れてていたとか…いろいろなストーリーが細かく書かれていてます。
いずれにせよ入れ墨は日本に古くから根差した文化であることがわかります。
しかし、大正から昭和の時代に刺青はヤクザの専売特許になり、カタギで刺青を入れる人はいなくなったようです(鳶職人さんや漁師さんなどごく一部は除く)。
オシャレでする人も増えた現代のように「あの人の刺青はファッションかしら?本職の人なのかしら?」と迷うことはなく
刺青が入っている=スジモノでした。
昭和のヤクザの人いわく
「僕らのころは、刺青はヤクザしか入れませんでした。スミを入れるというのは一般社会に戻れない、カタギに帰れないという厳しい十字架だったんです。同時にこれを入れたからには後には引かない、生涯、ヤクザ・極道を貫くんだという覚悟を決めるためにやったんです。当時は刃物を使って墨を入れる手彫りでした。彫るたびに体中が熱をもちます。何年も痛みに耐えながら入れてたものです。全身に入れるのには何百万もかかりましたんで、そのためにシノギも頑張らないといけない。そういう心を強くする、自分を追い込むために入れるものでした」
もう入っとるんかい!?現代では刺青を「タトゥー」と呼び変えられ、ファッションとして認識されています。和彫りは不良色が強くファッションタトゥーと一線を画していますが、ちょっとヤンチャなお兄ちゃんで別に組織の人間ではないという人も入れています。
最近はハタチそこそこの若い組員が入門してきて「スミ入れるか?」と聞くと「もう入ってます」という話が多いそうです。
中年組員
「わしらのころは最初は部屋済みをしました。親分や兄貴の龍や鯉の入った背中を風呂で流して、その刺青にあこがれたもんです。兄弟分と下絵を見ながら『俺はオヤジと同じ龍がいいなあ』『俺は兄貴の鯉にしたいぜ』『いや、でも本家の親分は唐獅子牡丹らしいよ』なんて何年も悩んでね。それでカネと覚悟を溜めて何年もかけて泣きながら彫ったもんですが、今じゃ『かっこいいガラなんで選びました』なんて言われてズッコケますわ。今どきのスミは機械彫りで痛くもないし、何か月かでできちゃいますし、いざとなったらレーザで消せるとくれば、そりゃ街中のバカが入れますわな」
■意外と多い親分フルネームの刺青■
生粋のヤクザで見かけますが胸の真ん中に「山田太郎」みたいな人名をフルネームで彫っている人がいます。
その人は「山田太郎」ではありません。親分や兄貴分の名前を彫っているのです。
「山田組」とか「山田一家」なら分らんでもないですが「山田太郎」と彫っているのはどういうことなのか。
本当に親分や兄貴分を慕っていてその人の名前を彫っているのです。
兄貴分のフルネームを入れている、関東のある若手組員に聞いてみたら
「自分がついていくと決めた人だからフルネームを入れて覚悟を決めてるんだ。この刺青が入っていたら、ほかの親分に心変わりすることがない、ほかの組も他人の親分の名前が入った若い衆なんか引き取らないでしょう」とのことでした。
「俺は親分の所有物ですから、名前が書いてあるんです。小学校の時、文房具や上履きに名前書いてあったでしょ?アレと同じですよ」
同じじゃないでしょ……と思いましたが、
突っ込めず。
ヤクザには精神世界、独特の考え方があるということをよく占めている例だと思います。オヤジのために、アニキのためにというのはまんざら嘘でもないようです。