暴力団ヤクザが生きられる理由 ヤクザ・暴力に従う低レベルな文化と地域とコミュニティ

ヤクザ・暴力団は暴力や威圧、脅しがまかり通る、ヤクザは従うべき存在である―という感覚を共有している程度の低いコミュニティを生活・経済活動の場としています。

払う必要のないみかじめ料など普通の人たちが警察に届けるような理不尽な要求でも文化的なレベルが低く「ヤクザは強いから逆らえない」という判断をしてしまう集団に支えられて生活しています。

そんな感覚のない普通のサラリーマンや学生を相手に「俺が誰だかわかってんだろうな」などとすごんでも効果はありません。

こうしたコミュニティの中ではヤクザ・暴力団は絶対的存在として地位を保っているため、みだりに暴力をふるったり、怒鳴り散らしたりする必要もなく、比較的温和にしています。

暴力団の周辺にいる人たちを見ているとケンカが強ければ偉い、声が大きければ強い―式の原始的なルールの中で生きていて、ヤクザはそういう価値観の頂点にいることがわかります。



こうした人間関係の中で何かトラブルがあると顔役のヤクザが現れて物事を解決します。これは当事者同士がヤクザに逆らわないという暗黙のルールにとらわれている村社会だけで通じるもので、そういう人たちが「ヤクザは必要悪」などとわけのわからないことを言っているのです。

ヤクザにみかじめ料を払ったり、便利使いされている人たちは案外、ヤクザに脅されたり暴力を振るわれたりしたことがない人が多くいます。

閉鎖的な価値観と人間関係に囚われて「〇〇さん(ヤクザ)に言われたら断れない」という風に考え言いなりになっています。

これはヤクザがエラそうにしている地域や歌舞伎町や大阪のミナミなど夜の街で見られる問題です。

さらに、そういうコミュニティでは暴力団ヤクザでなくても「押しが強い」とか「声が大きい」人間たちが人間関係や商取引で優位に立つことができるという不健全な社会が作られていきます。

ヤクザ暴力団はそういう風潮の風上です。

警察が暴力団を取り締まる本質的な目的は法治国家で暴力とか威迫がまかりとおる社会を許さないという意思表示をすることだと思います。