🔫ヤクザになる理由③ 初期不良型

「拷問て最初は、イヤイヤなんですが途中から楽しみがでてくるんです。
 やってみないと理解できないと思いますがみんな好きになります」

-暴力団幹部N

Nがヤクザの世界に入ったのは8歳の時でした。Nは生まれつきのサイコパスというか反社会的な人格でした。盗み、暴力、虚言。あまりに素行が悪すぎて親や学校に見放され路上生活のような毎日を送っていたところ、近くのチンピラの家族が養子に入れてくれました。実の両親は引き留めず、「こんな子を引き取ってくれてありがとうございます」と言ったそうです。小学校でも教師や友達に暴力をふるったり授業を妨害するので担任の教師でさえ「Nくんはできれば家庭で教育してほしい」という始末。Nは毎日、ブラブラと組事務所や兄貴たちの家で過ごすようになりました。昭和の時代は「少年ヤクザ」という部類の子供たちがいましたが、せいぜい16歳以上です。自分でも「後にも先にも史上最年少ヤクザ」と自慢しています。とにかく凶暴でケンカが強く、小学校高学年の時には「出入り」の先頭を切っていました。

中学生の時に全身に刺青を入れ、抗争事件の乱闘で初めての殺人(正確には集団による傷害致死)を犯します。その時に感じたのは「人を殺した。俺も一人前だ」という喜びだったそうです。兄貴分に「おまえは手伝いにきただけだから出頭しなくていい」と言われ「あいつが絶命したのは俺の一撃だ!兄貴たちの手柄じゃねえぞ!」と泣きわめいた言います。その後も殺人で長期の服役をします。本人曰く「共犯を含めると4人殺した。大けがをさせた数なんかわからない。たくさん失明させた」とのことでした。



Nは人を殺した話を実に愉快に話します。武勇伝として話すヤクザはたくさんいますが、Nは雰囲気が違いました。親父のためだの組織のためだの気取ったことは言わずにとても私的なこととして捉えているようでした。暴行を受けた人がだんだん呼吸が小さくなって息を引き取る様子をとてもリアルに語ります。突然、銃撃したり、刃物で刺した人が本当に驚いて自分を見るときの表情ほど愉快なものはないと言います。体に痛みを感じて「何が起きたんだ」という表情から「自分は撃たれた(刺された)」と認識した表情に変わり、最後は「殺さないでくれ」という命乞いの表情に変わっていく、その時に撃つマネや刺すマネをして相手が叫んだりのけぞったりするのを見るのが好きだと話していました。

話すときは笑顔ながらも小声で話します。私はすぐにこれはこの人にとっては「わい談」なんだと気づきました。男だけで集まった時に話す初体験の話や、一晩に〇回ヤッた話とか、ものすごい美人との一夜、を話すのと同じ感覚なんだと思いました。

ある日、居酒屋で例によってNの残虐物語が始まりました。
「拷問というのは、最初はいややなあと思って手伝うんですが、途中から楽しみというか、そういうものがでてくるんですよ。これは、みんな同じなんです。やってみないと理解できないと思いますが」。一緒にいた若い衆たちも「そうなんですよ」と笑いましたが、Nがトイレに行くと油汗をふきながら「拷問やリンチなんてみんないつまでたってもいやなもんですよ。あの人は頭おかしいすから。泣き叫ぶ人の爪に針刺しまくったりしますから。ついていけないす」と苦笑いしていました。子分たちに聞くと、やはり組織の中でもあまりに異質で抗争事件やどうにもならない案件の最終手段として呼ばれる人とのことでした。

「自分たちはヤクザ以外にも道があったかなとか思いますが、Nさんに関してはほかの選択肢ってないんじゃないかと思います。生まれつきヤクザになるように仏様が作ったんですよ」