「覚醒剤やめろ」は「水を飲むな」
「あればやる」ルートを断つしかない

「常習者に覚せい剤をやめろというのは
 水を飲むなというのと同じ。
 水がない場所で渇きに耐えるしかない」

―都内医師

 

依存症の治療はほぼ不可能

長期間にわたって覚せい剤など違法薬物を常習した人は身体や脳に深刻で恒久的なダメージを受けてしまいます。これは一般的な大けがの後遺症や慢性疾患と同じで、薬物をやめてもダメージは残り続けます。現代の医学では薬物の依存や禁断症状から完全に脱出することは不可能です。

海外のほとんどの国では薬物依存を慢性的な「病気」として認識していて、刑務所をはじめとした行政や医療機関が立ち直るためのサービスを設けています。しかし、日本では薬物を使用するという人があまりに少ないこと、暴力団関係者などが大半を占めることから「自業自得」として厳しくとらえらています。

同情や共感はもとより、病気としての認知も低いままです。結果、「我慢」とか「忍耐」で何とかしろという話になってしまい、復帰の道を閉ざされて再犯してしまう人ばかりです。

水を飲むな同じくらいムリ な話

覚醒剤をはじめとする違法薬物の依存性について、

「必要がないけれど、水のようにほしいもの」

と表現されることがります。

人間はどんなに我慢しようと思ってものどが渇いたときに目の前に水があれば飲まずにはいられません。覚醒剤などの違法薬物は、身体にとって全く必要ないものではありますが、のどが渇いたときに水を飲みたいと思うのと同じぐらいの強い生理的な欲求を起こします。私たちも水が手に入る環境があればその欲求にあらがうことはできません。

ある重度の覚醒剤乱用者の人は

「皆さんは薬物をやると気持ちよくなったり、楽しくなるから私たちが何度も続けると思うでしょう。ほとんどの人は違うんです。やりたくないけど、やらずにはいられない。クスリをやるとやっと正常な状態を取り戻せるような気持になるんです。薬物が切れているときはものすごいうつ状態でした。クスリが原因なので、矛盾しているかもしれませんが、その症状を一時的に治せるのもまたクスリしかないんです。クスリをやっても楽しいとか幸せという気持ちにはなれませんが、苦しい状態を脱出することができます。もちろんそれはさらなる依存、さらなるうつ状態への無限のスパイラルなのですが」

多くの薬物常用者を話をしてきましたが、いずれの人も「目の前にあればやってしまう。それにあらがうことはできない」と「言います。

しかし、「目の前になければやらない。我慢できる」ともいうのです。周囲の人が支え、薬物が手に入らないような状況を似させてあげることができれば、「薬物を使用しないで生活をすること」は十分に可能です。その「水」は本当は不要なものなので飲まなくても大丈夫なのですから。

入手ルートを断つ


アメリカでは薬物の売人であふれている地域があり、特に人脈がなくてもお金さえ持っていればドライブスルー的に薬物を購入できます。
幸いなことに日本では覚せい剤をはじめとする違法薬物は路上で見知らぬ人から購入することはできません。かなり特殊な人脈がなければ手に入るものでなく、過去に付き合いのあった売人や覚せい剤を仕入れたり使用したりする人物に新たに会わなければそれまでです。

家族や友人が常習者がそういう人に近づかないように、またそういう連中が常習者に近づかないように目を光らせていれば購入することができず、使用をしないで済みます。

逮捕された薬物常習者やその家族に警察は「今持っている携帯電話を捨てて、電話番号も変えるように」と助言をします。

これは常習者が売人に連絡を取らないように、売人が常習者に連絡を取らないようにするためで、非常に効果的な対策です。常習者の電話番号やSNSのアカウントは売人同士で売買されたり引き継がれたりするので常習者自身もそのアプローチから逃げなければならないのです。

電話が通じてしまったら1時間後には路上で売人と会うでしょう。これを止めることは不可能に近いです。意志が弱いとか根性がないとかいうこととは別です。

また、近年はインターネットの掲示板やSNSを経由して新規の顧客を探す売人が少なからずいます。ホンモノの覚醒剤ではない、妙なドラッグをするハンパな売人かもしれませんが、そういった人物は覚醒剤のルートにも通じていることが多いので、覚醒剤の供給につながってしまうかもしれません。

そういう人間とコンタクトを取らないように注意を払ってあげることも必要だと思います。