覚醒剤コカイン大麻違法薬物きっかけ
恋人・友達・知人・誘惑

芸能人やスポーツ選手が覚醒剤やコカイン、大麻、危険ドラッグなどで逮捕される度に「薬物はやめられない」という報道が続きます。薬物をやめることは大切ですが、そもそも最初に触れる機会があったことが最も重大な問題にも関わらず、「やめれば解決」「立ち直れる」のような事後的な対策に注目する風潮が広まることを懸念して書かせていただきます。

そもそも接点を持つこと自体が異常

「仲のいい友達にすすめられ軽い気持ちで」

「恋人がやっていて一緒にやるようになった

「酒の席で興味本位で手を出したのが始まり」

「知り合いからやせるクスリと聞かされて」

マスコミは芸能人やリハビリ施設を取材して涙ながらのエピソードを取り上げ、ちょっとしたキッカケから薬物に手を出してしまう危険を伝えます。
コメンテーターや専門家は
「誘惑に負けないようにしましょう」
「好奇心・興味本位でやってはいけません」
しかし、皆さんは人生の中で一度でも「薬物の誘惑」などというものに接する機会があったでしょうか?偶然のような文脈に納得してしまいそうになりますが薬物をすすめてくる「友達」「恋人」「知り合い」に出会うというのは極めて異常な交友関係で生活しているということです。

日本での薬物の状況を考えると


幸いにも日本はアメリカやヨーロッパのように違法薬物が蔓延している国ではありませんし、よし、やってみようと思ってもルートが見つからない国です。暴力団やその周辺者がほぼ一手に市場を独占しています。マーケットのほとんどは長年にわたって使用を続けてきた常用者の人たちが占めていて、その大半が暴力団に牛耳られた反社会的なコミュニティもしくはその周辺に所属しています。
新規に始めてしまう人たちもいますが、同じようなコミュニティに所属する中で手を出す人がほとんどです。普通に生活をしていてウッカリ薬物を始めてしまうなどと言うことはほぼありません。もし使用した人でウッカリという認識ならば、それは知らないうちに相当に悪い交友関係に身を置いてしまっているということです。

「出来心」ではない


警察が犯罪心理を説明するときによく「やりたいとやるは全く違う」という話をします。「出来心」を持つ人間と具体的に実行に移す人間は全く人種が違うということです。
たとえば欲しいモノがあるけど、予算上買うことができない時に万引きをして手に入れられたらな―と悪い考えが頭をよぎるのと、実際に商品をカバンに押し込んで店の外に出るという具体的な行動を取る人との間には大きな差があるということです。
自分が好きなタイプの女性をなんとかできないかなと思うのと、実際に痴漢をしたり、夜道で襲撃したりするのも違います。

薬物も同じです。現代の日本に生活していて、薬物の危険や万が一、薬物をすすめてくる人がいたとしてそれを吸ってみよう、飲んでみよう、打ってみようというのはまたもう一段階のヤマを越える、タガが外れた行為です。


 

「知らなかったんです」の境界線


覚醒剤をはじめとする薬物の裁判で「違法なクスリだと知らなかったんです」と否認する人の多いこと。裁判を傍聴していると真実の冤罪の叫びなのか迫真の演技なのか本当に分かりません。
しかし、審理を聞いていると

「ビタミン剤だと思った。寝ないで仕事ができた」

「頭が冴えるサプリでやめられなくなった」

「ダイエットで1ヶ月で10キロやせられた」

「元気になるよ」とか「仕事がはかどるよ」という言葉にだまされたと言いますが、やってみたら異常な感覚を味わうわけです。

普通、気づくでしょう。

と突っ込みたくなります。しかも購入方法は人気のない駐車場で現金と引き替えだったりして、ほら、いけないものだと分かってるじゃないですかと。
ただ実際、「これは覚醒剤ですよ」とか「これはコカインなんや」とか「これはエクスタシー、MDMAだよ」などと明確に言われてやっているわけではない人は多いです。

「知らなかった」の線は難しいようです。