特集:通り魔という犯罪 2 犯人の心の中 精神障害 妄想 無意味な動機 意味不明な供述 

通り魔や動機のない犯罪、トラブルを取材するたびに精神疾患との親密性を目の当たりにしてきました。しかし、マスコミは人権擁護の観点や医師・団体からの批判や抗議を恐れてなかなかその部分を明確に報道しません。

精神障害を持つ人たちへのケアを無視するような報道は事件の検証、対策への大きな妨げになっています。

精神障害者は犯罪を犯す⇒危険な人たちというのは大きな誤りで、統計的にもそんなことはないというのはわかっているので大きな誤解ではありますが、通り魔というカテゴリーについてみると精神障害との関連性が顕著に表れています。

法務省が2013年に通り魔事件を起こした人たちを調査した研究報告があります。
※サンプルが少ない調査のため評価が難しいですが。

 

無差別殺傷事犯に関する研究
http://www.moj.go.jp/content/000112394.pdf

調査対象の無差別殺傷事件は「分かりにくい動機に基づき,それまでに殺意を抱くような対立・敵対関係が全くなかった被害者に対して,殺意をもって危害を加えた事件」をいう。

平成12年3月末日から22年3月末日までの間に裁判が確定した無差別殺傷事件であって,同事件の裁判が確定したことにより対象者が刑事施設に入所したものである。調査対象者は52人であった。

調査対象者52人中のうち37人に対して精神鑑定(本鑑定)が実施され、そのうち31人が精神や知的な障害があった(薬物の使用による精神障害・パーソナリティ障害含む)という結果になっています。

率にして約60%。

レポートの要旨にはこのような記述もあります。

無差別殺傷事犯者には,何らかの精神障害等,特にパーソナリティ障害の診断を受けた者が多いが,犯行時に入通院して治療を受けていた者は少ない。

国のレポートでここまで細かく、そしてある意味、思い切って精神障害との関係性が指摘されています。ほかの記述もまとめてすごく大雑把にまとめてしまうと

通り魔をする人の中には何らかの精神障害、パーソナリティを持つ人がとても多いが、これまで治療が十分でなかった。

通り魔が起きるたびにマスコミは現場の安全管理に注目した報道を行います。

ターゲットになりやすい歩行者天国の警戒、学校の警備、通学路の見守り活動の強化を訴えます。

そうなると、犯罪を未然に防ぐ、犯罪を犯しそうな人をみつけて思いとどまらせるということが重要になってくると思います。

加害者にスポットをあてて、犯行を起こさせない、犯行を起こす兆候を見逃さないということが重要ということになります。

しかし、それに対して的確な報道や検証が行われているかはやや疑問です。

事件のたびにひきこもり、家族との確執、貧困、社会への不満など個別具体的な犯人像を掘り下げがちですが本当にそれでいいのでしょうか。

 

 

「通り魔」を考えた人との対話

通り魔を考えたことがあるという人に話を聞く機会がありました。

取材というよりは偶然、出会った人でした。

 

話していて精神的な障害がある人であることがわかり、当人もそのことを打ち明けてくれました。明確に医師から診断名が出ている中程度の精神病の患者さんで、通院・薬の服用もしている人でした。

 

私が興味を持ってその話について深く聞きたい旨をお伝えすると、いろいろな話をしてくれました。

正直、会話はかなり散漫でした。被害的な妄想や空想があるようでした。

突然、「誰かに聞かれている」とか「あなた、さては私のことを知っていて近づいてきたのでしょう」などと言われました。

急に怒ったり、悲しんだかと思うと笑顔になったりとすることもあり、病気による情緒の不安定さを読み取ることができました。

 

話をしていく中で、

「実は、幼稚園に侵入して園児たちを切りつける=通り魔をしようと考えたことがある」

と話してくれました。

 

幼稚園はその人の近所にある普通の幼稚園でした。特にその幼稚園に通っていたとかそういう関係性はない幼稚園でした。

その人は園児とは日ごろから触れ合うことがありました。

自分の気分がいいときはとてもかわいく見えるといいます。幼稚園の柵越しに園児と話すこともあり、先生たちとも親しかったとのことでした(本人談ですが)。

一方で、自分の気分がすぐれないときは園児たちのわあ、きゃあ遊ぶ声がたまらなくうるさいと感じたといいます。かわいく見えた園児たちが、とても憎たらしいと感じる時もあったということでした。

 

その人が園児に対して、通り魔を行おうと思った経緯は私には理解できないものでした。

自殺願望のあったその人はたびたび夜に警察署に電話をしていました

「これから死んでやる」という趣旨の電話をして泊まり勤務の警察官と話して心を落ち着けていたのです。

※こういう電話をする人はすごく多いです。全国の警察の当直勤務では毎晩、こういう電話の対応に追われています。

 

その日、その人の電話を取った警察官は非常に手厳しくあしらってきました

「これから死んでやる」といっても

「勝手に死ねばいいじゃないですか」

「もう高いところにいる。これから飛び降りる」と言っても

「知りませんよ。切りますよ」という具合です。

そこでその人は

「頭にきて翌朝に通り魔をしてやろうと思った」とのことでした。

話を聞いていた私その脈絡がない結論の理由を尋ねました。

「私が通り魔をして“昨日の夜、警察署の警察官に邪険にされたので子供を皆殺しにした”と供述すればその警察官は困ったことになるじゃないですか。どうしてちゃんと対応しなかったのかと叱られるでしょう。いい気味じゃないですか」

当たり前のように話すその人ですが、ほかにも誰かに攻撃されそうになっていたからやるしかないと思った」とか妄想や幻聴、幻覚に基づいたような話をいろいろとしていました。

結局、一般の人全く理解できない理由で通り魔をしようと思いたったようでした。

その人は結局、別のタイミングで包丁を振り回して警察に逮捕されてしまいました

釈放された後に話を聞いてみましたが、本人曰はく自分を殺そうとしてくる人たちがいたので護身用に持っていただけだ」とのことでした。

 

精神疾患との関連性

通り魔事件の犯人のほとんどは広い意味で「気が狂っている」状態ではあると思いますが、

現代、精神疾患はきちんとした診断に基づいて病気、疾患があるという判断がなされます。

前近代的な社会では変わっている人はみんな「キ・・イ」あつかいで不当な扱いを受けていました。そういう意味では精神医療の進化は人権を守るために多大な貢献をしてきたと評価することができます。

 

しかし、一方で相当に「変」であっても精神科医・医師の厳密な判断で病気や疾患がないという判断がなされています。

ある警察官が「少なくとも殺人を犯す、人が絶命するまでためらわずに人の体を攻撃し、傷つけることができる人間はある程度気が狂っていると思う」と話していました。

 

しかし、これを肯定すると、警察としては逆に犯人の責任能力が問えなくなってしまうため、「当時は正気だった」という立証をするという逆回転を余儀なくされています。

 

こういう人の対応はとても難しいとは思いますが、警察や家族、周囲の人が細かくケア、変化がないかを気にかけていくことが大切かもしれません。